沿革

「工業は国の礎なり」を信念の元、創業者竹内明太郎が自ら経営する炭鉱の一部門として唐津鐵工所を興したのは1909年のことでした。創業当初は主に自社用の設備機械を製作していましたが、2年後の1911年には初めての工作機械として14インチ旋盤を世に出すこととなります。

その後鐵工所は株式会社唐津鐵工所として分離独立し、初代社長となった竹尾年助は1955年に引退するまで、その生涯を世界レベルの卓越した性能を誇る工作機械の製造に投じました。

また彼は当時の日本でトップクラスの設計技術者や一流の技能者の育成にも尽力し、彼らの手によってKARATSは国内屈指の工作機械ブランドのとして認知されるようになりました。

戦時下にはKARATSは軍需を支えるキーサプライヤーとなり、最も重要なミッションは海軍の為の工作機械の製造でした。長さ20メートルを超える戦艦大和の主砲の砲身に直径46センチの穴を明けるための砲身中ぐり盤は1938年に呉海軍工廠に納入されましたが、その機械の全長は64メートルにもおよび当時のKARATSブランドを象徴する製品の一つと言えます。

戦後そして現在に至るまで、工作機械業界は、鉄鋼、造船、電気製品、重電機器、鉄道、自動車、半導体、ロボットなどその時々に発展を遂げた業界と共に成長して来ました。

KARATSも業界と共に復興を遂げ、特に横型旋盤と研削盤に代表される大型工作機械部門と、ギヤシェーパーなどに代表される歯切り盤部門を2本の柱として成長し今日の姿になりました。

中でも海外市場への進出は成功例の一つです。1970年代には韓国市場へ、2000年には米国市場へ、2016年には中国市場へそれぞれ進出し、加えてインド、オーストラリア、ルーマニア、台湾、ブラジルなど多くの国からも注文を頂いております。

これからもKARATSは「用うるに利有るを造り売るに利有るものを追わず」という創業時に創られた理念に基づいて、製品開発とグローバルマーケティングを押し進め、また更なる生産技術の深耕に邁進して行きます。